川崎市市民ミュージアムでは、学芸員が川崎市内の史跡を紹介しながら歩く「史跡めぐり」という事業を
開催してきました。
2019年に施設が被災、そしてコロナ禍となってからは、新たにオンライン版の史跡めぐりを当館Webサイト上(YouTube)で公開しています。
2021年は新鶴見操車場を取り上げた「川崎の鉄道操車場 -今昔めぐり-」、
2022年は多摩川の砂利採取を中心に「砂利の多摩川」を公開してきました。
これらの事業は内容の構成はもちろんのこと、撮影から編集まで、慣れないながらもすべて当館の職員が制作しています。
そして3回目を迎える今年のテーマは東海道 川崎宿。
講師は毎度おなじみの青山学院大学教授の高嶋修一先生と当館の歴史担当学芸員、鈴木勇一郎です。
ここでは、オンライン史跡めぐりの撮影を担当して3年目の教育普及職員が講座に収録できなかったこぼれ話を
お伝えします!
6月中旬、午前中に一つ手前の宿場である東海道 品川宿と六郷神社の撮影を終えた私たちは、
多摩川を越えて東海道 川崎宿に向かいました。残念ながら雨模様のお天気でしたが、雨具を用意して江戸時代の旅人たちを偲びながら撮影に臨みます。
◀旅人装束を着こなす鈴木。 川崎宿のなかにある「東海道 かわさき宿交流館」では、当時の装束風衣装を試着して記念写真を撮ることができます。 |
「東海道中膝栗毛」でも取り上げられた万年屋という宿場一の茶屋・旅籠の跡にやってきました。
この辺りは第一京浜沿いのため交通量が多く、行き交う自動車の騒音が音声に入ってしまって何度かテイクを重ねる場面もありました。その都度、話し方やカメラのアングルを変えてより伝わりやすい映像を目指します。
川崎宿のなかでも万年屋があったとされる江戸に近い宿場の入口は、川崎大師へお参りする人々で当時も賑わって
いたそうです。本来は本陣(宿場公認の旅館)に泊まる大名も宿泊したほか、のちには皇女和宮や米国駐日総領事ハリスも立ち寄ったと伝えられています。
▲万年屋からつながる大師道を進むと、川崎大師に到着します。
参詣客は万年屋でひと休みしていったのでしょうか?
万年屋名物といわれたのが、小豆や栗などをお茶の煎じ汁で炊き込んだ奈良茶飯です。
東海道かわさき宿交流館の近くにあるお店「東海道二番宿 菓寮東照」では、現在でも奈良茶飯風おこわを
提供しています。
▶東海道二番宿 菓寮東照本店
川崎市川崎区本町1-8-9
ちょうど時間は12時過ぎ。ここでお昼ごはんを頂いて、午後の旅路に備えましょう。
▲「奈良茶飯風おこわ」
小豆や大豆、栗を炊いたおこわとしじみ汁、奈良漬けのセットです。
長い距離を歩いてきた旅人が一息つく宿場町では、おこわやご飯、お団子など腹持ちがよくてエネルギーとなる炭水化物を効率的に摂取できる食事が提供されることが多かったようです。
温かいおこわとほくほくした食感の小豆や栗の優しい味がおなかを満たしてくれます。
長旅で汗をかいた人たちにとって、塩分多めのしじみ汁もしみるようにおいしかったことでしょう!
▲お腹がペコペコのふたり。いただきます!
お昼ごはんを食べて元気を取り戻したところで、張り切って午後の撮影を始めます!
川崎宿は戦災をうけたこともあり、江戸時代当時の面影を残している場所は多くありません。
京急川崎駅から徒歩5分の十字路。ここは、「問屋場」といって伝馬人足、飛脚、本陣の宿泊などの宿場業務を監督する
宿場の中心部でした。取り壊された今では、それを偲ばせるものは残っていませんね。
▲問屋場の跡とされる場所。駅が近いこともあり人通りの多い一帯です。
旧東海道をまっすぐ進んでいくと京急とJR南武線の八丁畷駅が見えてきました。
なかなか気づきにくいのですが、ここには貨物鉄道に関する史跡が隠れています。
この蔦で覆われたレンガ造りの建造物。これは廃線になった貨物線を通していた橋げたです。
現在のJR川崎駅と浜川崎駅を結んでいた貨物線は、八丁畷駅の先で合流していました。
当時はこの手前を走っている京急線を貨物線が乗り越えるために橋が架けられて高架線になっていて、
貨物線が廃止された後もその橋げただけが残されているのです。
▲こんもりと蔦でおおわれていますが、ちらっとみえる赤いレンガ。
▲芭蕉の句碑の裏手側、京急線の奥に橋げたが残されています。
こうして東海道 川崎宿をふたりの旅人がめぐるディープな史跡めぐりは2023年9月25日より当館HPにて
公開しています。
【※2024年3月29日まで】
https://www.kawasaki-museum.jp/event/28418/
川崎の歴史に興味のある方、川崎宿についてもっと深く知りたい方、鉄道に興味のある方、是非ご覧ください。
お見逃しのないよう!
教育普及
安尾