「AWAZU HOUSE 粟津潔邸」は戦後、グラフィックデザインをはじめ多岐に渡り活躍した粟津潔(1929~2009)が家族と共に暮らした自宅兼アトリエであった建物です。2023年よりアートスペースとして公開されており、邸内に設けられた大小様々な窓から自然光が多く差し込む設計は天気や時間帯によって様々な陰影を空間に生み出し、作品の表情をより豊かに感じさせます。
本展にあたり山口は、細長い形の粟津潔邸を多摩川に沿って伸びるように位置する川崎市の地形と重ね合わせ、3階には主に西部、2階には中部、そして1階には海に面した地域を描いた作品を配置しました。建ち並ぶタワーマンションや市内にある作家の実家の天井裏にハクビシンが現れたというエピソードを基に描かれた作品、さらには戦時中に多摩区登戸で製造されていた風船爆弾といった川崎の歴史を想起させるものもあり、山口自身が目にした事物やかつて川崎で起きた出来事をテーマにした作品まで、幅広い事象が取り上げられています。また、1階のアトリエとして使用されていた空間に展示した作品は、本展のなかで最も大きな作品です。夜の闇に浮かび上がるように描かれた工場の明かりと照らし出された海が画面の大部分を占め、夜空には工場の煙を思わせる揺らめく大気が描かれています。工場は現在も沿岸部をはじめ市内に存在していますが、かつて日本有数の工業地帯として国内外の様々な地域から労働者が集まり高度経済成長を支えた川崎という土地を示す風景であり、本展のタイトルの一部である「Blue」(肉体労働者)を象徴的に表した作品とも捉えることが可能です。
いずれの作品も具体的な事柄に基づいて描かれていますが、隣り合った色彩同士がわずかに重なり合っているためモチーフの輪郭線が曖昧になり、写実性が薄れることで画面には抽象的な要素が加わります。人が描かれていない点や穏やかな色彩から感じられる静謐さと、疾走感のある動的な表現が同時に存在することで不思議な浮遊感が生み出され、特定の場所を描いたものでありながら「どこかで見たような風景」として鑑賞者自身の記憶とも重なるでしょう。これら全ての展示作品は粟津潔邸に展示することを前提に制作されたため、いずれの空間にも調和しています。かつての生活の気配が残る邸内を巡りながら鑑賞する体験は美術館などの均質的な場での展示とは異なり、作品をより親密に感じさせます。また、天窓から見える空の色や邸内に降り注ぐ光が刻々と変化する様子は山口が描く一瞬にして流れ去る風景とも重なり、この空間ならではの光景となりました。作品と自然光が織りなす風景をご覧ください。
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