路地の記憶 ヒップホップ的なるものの社会史

はじめに

 ストリートカルチャーは、1970年代にアメリカ合衆国ニューヨークのブロンクス地区でアフリカ系、カリブ系、ヒスパニック系の人々が生んだ文化とされます。その中心だったのがヒップホップでした。ブレイキン(ブレイクダンス)、MC(ラップ)、DJ、グラフィティ(アート)の4つの要素から構成されています。近年注目されることが多くなったストリートカルチャーですが、市街地・繁華街の路地から生まれ、すでに半世紀の歴史を有している文化なのです。

 2024年7月から8月にパリで開催の第33回オリンピック競技大会では、ブレイキンが初採用されました。川崎市内のJR武蔵溝ノ口駅の周辺は、世界トップクラスのダンサーたちの練習場所となっていることからブレイキンの聖地として知られるようになり、川崎市全体でブレイキンを含むアーバンスポーツやミューラルアートなどの若者文化を支援しています。
 本展では、近現代日本のストリートカルチャーを歴史的にとらえていきます。戦前における同様の娯楽とストリートカルチャーとの接点を見出し、1980年代にヒップホップが流入する下地にあった日本の文化的背景を踏まえながら、その後のストリートカルチャーの20年を、川崎を軸に振り返ります。また、これら文化を生み出した「人」として、「不良」とされた人々にも注目します。これにより、ストリートカルチャーを創り出す人々を身近に感じるとともに、文化が社会の大きな流れとは決して無関係でないことを再認識できるのではないでしょうか。

 川崎市は近現代になって工業化が進んだこともあり、他地域からの流入人口が多い都市です。昭和になると工業化傾向は終わり、平成には文化の時代を迎えます。川崎という地域を切り口としてストリートカルチャーをとらえることは、文化都市としての川崎の姿を浮かび上がらせ、令和を生きる私たちに、大きな気づきを与えてくれることでしょう。また、すでにアートとして認知されているグラフィティが美術の文脈で語られることが多いなか、他のストリートカルチャーの社会的背景を歴史的に読み解くことは、日本文化をより深く理解するための一助となるはずです。

 最後になりましたが、本展の開催にあたり、多大な御協力をいただいた関係者の皆様に、厚く御礼申し上げます。

2024(令和6)年7月1日
川崎市市民ミュージアム

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第1章 戦前日本の路地の記憶
第1章 戦前日本の路地の記憶
第2章 路地の文化 ―社会の成熟からヒップホップの定着まで―
第2章 路地の文化 ―社会の成熟からヒップホップの定着まで―
第3章 21世紀のストリートカルチャー ―世界はカワサキをめざす―
第3章 21世紀のストリートカルチャー ―世界はカワサキをめざす―