被災収蔵品処置の記録 ―収蔵品を追う― ~民俗分野編~ <河童図(かっぱず)>

修復前 修復後

資料解説

 「河童図」は、江戸時代中期から後期にかけて制作されたものと思われます。この図には、猿のような姿の河童と、私たちが「河童」と聞いて想像する亀のような姿の河童の2種類が描かれています。猿型の河童には「川太郎」とあり、「手足ユビ五つ(ずっ)さるの如シ 惣身ホソキ毛有」と記されています。一方、亀型の河童は正面と後ろ姿が描かれており、頭には皿が、背中には甲羅がある姿をしています。主に江戸の周辺では亀型が、地方では猿型が河童の姿であるとされていました。姿だけでなく呼称も川太郎、メドチ、エンコウ、ヒョウスボなど地域によってさまざまなバリエーションがありました。
 現在、私たちが一般にイメージする「河童」の呼称と姿は、江戸時代後期に活発となった本草学の発展とともに全国に伝播していったと言われています。主に動植物の記録をしていた本草学が次第に河童などの妖怪も対象とするようになり、江戸の河童と地方の川太郎などの妖怪が同一視されていったのです。亀型の河童像にも「カハタラウ(川太郎)」と書かれているのはそのためです。亀型の河童像は本草学者によって筆写され、彼らの随筆などに「河童の図」として多く引用されるようになり、その版本とともに各地へ広まっていきました。
 当館に所蔵されている「河童図」もこのような流れの中で、筆写されたもののうちの1つだと考えられます。この「河童図」は、江戸時代後期に広まった河童像とそれ以前に主に地方で認識されていた河童像が描かれているのが特徴で、河童の歴史とその変遷、人々にどのように受容されてきたのかを窺い知ることのできる重要な資料でもあり、学問や出版などの文化の発展を考察する上でも大変参考になる資料です。
 この河童図は、2枚の紙を左右に継いで構成されていましたが、従来は多少不自然な構図となっていました。今回、修復の過程で左右逆に紙を継いでみると、紙継の部分に「今村随学主」と記されていることが判明しました。今村随学の詳細は不明ですが、狩野派の絵師で18世紀半ばに尾張藩の御用絵師を務めていたとされる人物です。随学の後ろの「主」には所持していたという意味があり、彼が何らかの事情で所持したことを示すものと考えることもできます。彼が活躍した時代は亀型の河童が広がり始める時期とも重なり、絵師という存在が河童の伝播にどう影響を与えたのか等、研究を深める余地がある資料でもあります。

レスキューの流れ

 河童図は、妖怪関係の資料を重点的に収集してきた当館の民俗コレクションの中でも重要な位置づけを占めるものです。そのため、被災直後からその存在の確認は、優先的に措置すべきという意識が関係者の間に共有されていました。民俗資料を入れていた第1収蔵庫は、他の分野のレスキューとの関係で被災後しばらく封鎖していましたが、封鎖解除後、いち早く捜索作業が進められ、12月中旬には所在を確認し、収蔵庫外に搬出することができました。
 搬出後は、2階の常設展示室に移して乾燥させ、燻蒸後、外部倉庫に保管しました。本資料は、被災前から染みや汚れが生じていましたが、水の中に浸かっていたことで、その状況が進行したように見受けられました。そのため早い段階での修復が必要であると判断し、株式会社 修護に依頼して修復されることになったのです。

被災後の第1収蔵庫

修復

修復を担当した、株式会社 修護の日野克紀さんにお話をうかがいました。

日野克紀氏(株式会社修護 技術部 主任)



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ランビエンテ修復芸術学院 紙科 卒業。
イタリア パラッツォ・スピネッリ修復芸術学院 紙修復科 卒業。
イタリアから帰国後、澄心堂奥村表具店へ入店。在職中、東日本大震災被災文化財レスキュー活動に参加し、津波被害にあった紙資料に対する安定化処置及び修理作業に従事。
8年間の修行を経て、株式会社修護に入社。現在は、装潢修理技術者として国指定文化財の修理を中心に取り組んでいる。
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-最初に「河童図」を見たとき、どのように感じましたか?

(日野さん)私は東日本大震災で被災した文化財を処置する活動に参加した経験があり、水害にあった資料は前にも見たことがあったので、カビが生えていることは予想していました。本資料には思っていたよりカビのシミはなかったのですが、多量の水に浸かった事でカビの跡が全体に広がっていて、経年劣化のため修理対象となった文化財とは様相が異なっている印象でした。

調査(作品のサイズを計測している様子)


-具体的な処置の手順を教えてください。

(日野)本資料には彩色があるので、絵具の状態をしっかりと確認しました。筆の先端を少し濡らして絵具部分に触れ、筆に絵具が少しでもついてきたらその部分は脆弱な状態となっている事が判るので、どのタイミングでどのような剥落止めを行う必要があるかを判断します。特に河童の骨描き(輪郭線)の部分はすでに滲んでいたので、留意しました。この確認は、被災した資料に限らず、水を使う修復作業の際は必ず事前に行います。また、損傷状況の調査は主に目視で行いましたが、資料の採寸や補修紙選びのために必要な繊維分析に加え、斜めから光を当て、折れや波打ちの状態や、透過光で紙の厚みや欠失の有無などを確認します。さらに和紙製の資料では通常pH測定は行いませんが、本資料においては特殊事例であるため確認いたしました。
このような状態調査を経て、修復の具体的な手順を決めました。

-まず、小型クリーナー(ホコリやカビを吸い取るために使用する、文化財専用の小型掃除機)を使用されたとのことですが、カビは完全に取れましたか?

(日野)「河童図」がこちらに運び込まれた時はわずかにカビのようなものが表面に残っているくらいでした。表面についたカビは柔らかい筆で払いながらクリーナーで吸い取ることができましたが、カビの色素は一度付くと取ることは非常に困難です。この河童図はこうぞの繊維から作られた和紙に描かれていますが、工業的に作られた洋紙と比べると繊維同士の隙間が大きく、そこに入った微粒の色素や繊維自体が変色している場合はクリーナーで取り除くことは難しいです。

-その後、耐水性の確認と剥落止め処置ですね。

(日野)修理前調査で河童の骨描き部分が滲んでおり、彩色部分が弱っていることを確認したため、にかわ水溶液で剥落止めをしました。これ以降の作業は水を用いたクリーニングを行うので、絵具を保護するためです。元々、膠は絵を描くときに使うもので、絵具を膠で溶いて紙と定着させます。経年により膠の力が弱くなるので、修復では膠を足す作業を行います。今回は牛皮から作られた膠で剥落止めを行いましたが、絵具の剥離や剥落の状態などによっては別の動物から取った膠を使用することもあります。
※膠…絵画の制作などに用いられる、絵具と支持体を接着させるための素材。溶かして液体状にした膠を絵具と混ぜて使用する。

剝落止めの様子 粉末状の膠 (左:兎膠、右:牛皮膠)

-剥落止めを施した後は水を用いたクリーニングを行ったとのことですが、水に浸して洗ったのでしょうか?

(日野)いえ、本資料には彩色があり、紙も薄くて弱っていたため、水の中に浸けると絵具への負担も増しますし、水から引き上げる事も危険です。ですから通常の絵画作品の修理と同様の方法を採用しました。「河童図」の下に吸水紙を敷き、上から噴霧器でイオン交換水を吹きかけて下の紙に汚れを吸い取らせる方法です。この作業で、目に見える汚れはだいぶ取れました。また、噴霧器で吹きかける水の量もチェックしながら行いました。資料の上に水がたまってしまうと絵具が流れやすくなるので、紙が水を吸い込んで表面の水が引いてなくなってから吹きかけるといった作業を何回も繰り返します。吸水紙を3~4枚重ねて、途中で何度か取り換えながら行いました。資料を長い時間濡れた状態にはしたくないので、クリーニング作業はできるだけ短時間で行いました。

-その後はプレス乾燥を行い、裏打ちですね。

(日野)プレス乾燥は、資料を乾かすと同時に軽い圧をかけて平らにする作業です。資料を板と吸水紙で挟んで乾燥させていきます。その後で裏打ちです。資料を湿らせて元から付いていた裏打紙を慎重にはがし、資料の周囲に足紙たしがみをつけて薄美濃紙で裏打を施しました。この「足紙」を付けた理由は、今後、資料を扱う際に本紙に直接触れないで済むようにするためです。
「河童図」は紙が薄くて弱っていた事と、比較的大きいこともあり、今後取り扱いやすいよう2層の裏打ちを行いました。使用した紙は薄口の本美濃紙です。裏打ちの紙は薄さが重要なのですが、美濃和紙は薄くて丈夫であることが特徴です。この紙は原料処理もすごく丁寧で、ちり(楮の黒皮等)なども入っていません。「選定保存技術」という、国に選定された文化財修復に関する技術者や団体があるのですが、この和紙はその選定を受けた方のものです。この他、裏打ちで使った刷毛も、同じく選定保存技術の認定を受けた技術者が作っています。

裏打と足紙に使用した薄美濃紙 足紙を施した後の河童図(部分)

-文化財を守っていくには、修復に使う道具や材料を作る技術者の方の存在がなくてはならないのですね。続いてのフラットニングとはどのような作業でしょうか?

(日野)刷毛や噴霧器で湿りを入れた本紙の四方(裏打紙の余白)に糊をつけて「仮張板(かりばりいた)」という板に貼って乾燥させます。周囲を板に固定された状態で少しずつ乾いていく時に、紙が縮んでフラットな状態になる性質を利用した方法です。「仮張板」は格子状に組んだ杉材の骨の上に和紙を6層程張り、柿渋を塗ったものです。柿渋を塗るとほどよく水をはじき、適度に吸湿するのでとても機能的です。海外の修復技術者で、仮張を習いたいという人もいます。ヨーロッパの国々では、フラットニングの作業は板にはさむ方法しかないようなのですが、仮張りは和紙の層が資料に含まれる水分でわずかな伸縮を共に生じながらゆっくりと乾燥していきます。板のみだとすぐに乾燥して剝がれたり、最悪破れてしまう場合もあります。

-「河童図」は仮張をしてからどのくらい乾燥させたのでしょうか。

(日野)1~2日で表面は乾きましたが、表面が乾いた時点で剥がすと紙が丸まったりするので、数週間張っておきました。紙の芯まで乾燥するまでには時間がかかります。完全に乾燥したかは見ただけではわからないので、触ったりして判断します。

-最後に仕上げですね。

(日野)裏打ち紙の余白を裁断しました。この作業はカッターではなくて丸包丁を使います。カッターは、よく見ると刃がギザギザですが、きちんと研いだ丸包丁は切り口がとてもきれいになります。この丸包丁は表具屋さん、畳屋さんなどでも使われるものです。以上で、修復作業は終了です。

丸包丁 仕上げの様子

-ところで、「河童図」は2枚の紙が貼り合わせてあります。当館に収蔵された時にはこの形だったと考えられますが、左右が逆に張り合わされた状態であることが今回の修復で明らかになりました。これは、調査の時点で気づかれたのでしょうか?

(日野)はい。なんとなく不自然で、「河童図」の写真を組み合わせたらぴったり合ったので錯簡さっかんだとわかりました。
※錯簡…書物などの紙の綴じ方が本来と異なる状態になっていること

-修復によって正しい形に戻すことができたわけですね。思わぬ発見となりました。

修復前 修復後(赤枠内が文字部分)
文字部分の拡大(文字が読める状態になっている)

-今回の作業の中で、最も気を遣った作業はどの工程でしょうか?

(日野)彩色が弱っている資料でしたので、クリーニング、裏打除去、裏打ち、仮貼りなど、特に資料に水を与える作業をする時は気を使いました。カビなどの影響で紙が傷んでいたので、扱いもより慎重になりました。カビが付着していた箇所は本紙が薄くなって弱っていたりするところもありましたので、裏打ち紙を剥がすときに、本紙の繊維も剥がしてしまわないように気を付けました。

-今回の処置を通して、思うことがあればお聞かせください。

(日野)被災した資料は1点ずつ状態が違うので、状態を見極めて適切に処置していくことの難しさを感じます。東日本大震災での文化財レスキューの時も処置を重ねるごとに自分の中で経験が積まれて、次の処置でそれを活かしていくという経験があったので、今回も同じように感じています。

-ありがとうございました。

おわりに

被災した資料は、経年による劣化とは異なる傷み方をしていることもあり、修復作業の内容について技術者の方にその都度ご検討いただいています。今後も多くの専門家・技術者の方々のご協力をいただきながら処置を進め、そこから得た知見を未来に活かせるよう努めていきます。

インタビューについて

取材日時:2021年8月20日(金)
取材場所:東京文化財研究所
取材者:川崎市市民ミュージアム 佐藤美子 林花音 杉浦央子