被災収蔵品処置の記録 ―収蔵品を追う― ~写真分野編~<1909年5月6日午後6時、紡績工場で働く少女たち、バーモント州バーリントン>
作品解説
ルイス・W.ハイン(1874-1940)
《1909年5月6日午後6時、紡績工場で働く少女たち、バーモント州バーリントン》
1909年、ゼラチン・シルバー・プリント、12.7×17.8cm
修復前 | 修復後 |
ルイス・ハインは1900年代から30年代のアメリカにおいて、児童労働や移民の人々の生活に関心を持って活動した写真家です。19世紀末から20世紀前半のアメリカでは、自ら撮影した写真を新聞や雑誌に掲載し、あるいは写真集を出版するなどして、公衆に向けて社会の事象を問題提起し、社会変革を訴える写真家たちが存在しました。ハインもその一人で、アメリカのドキュメンタリー写真の始祖と評されるジェイコブ・リースに続く重要な写真家です。
1904年、ニューヨークの倫理運動学校の教師であったハインは、移民の玄関口であったアッパー・ニューヨーク湾内エリス島に到着した人々の撮影を開始しました。さらに1906年には、自身もメンバーであった全米児童労働委員会に依頼された撮影のためにアメリカ各地を旅するようになります。
今回取り上げる作品は、その委員会のために撮影された一枚です。被写体となった女性たちは、アメリカ北東部の街、バーリントンの紡績工場の従業員であり、中には少女も含まれています。とりわけ幼い前列左端の少女の名前はアンナ・グルニエとされ、撮影時にはすでに2年間の勤務経験があったことを、ハインは写真とともに記録に残しました。
アンナはフランス系移民とみられており、当時こうした境遇の子どもたちが家族の暮らしを支えるために、大人と変わらない長時間の労働に従事することがありました。撮影時間は午後6時で、彼女たちは一日の仕事を終えて工場から出てきたところなのかもしれません。子どもたちを撮影することは容易なことではなく、時にハインは撮影に好意的でない工場主からの妨害を避けるために、身分を隠し、危険を冒して撮影を試みることもありました。
ハインは、厳しい労働環境に身を置きつつも、勤勉な労働者として社会に奉仕する子どもを、尊厳ある一人の人間として捉えました。子どもたちは背筋を伸ばし、真っ直ぐにカメラのレンズを見つめており、その表情は誇り高くさえも感じられます。それはまるで、彼女たちを取り巻く環境とその社会的背景、その眼差しの意味について、見る者へ黙考を求めているようです。
こうした労働に従事する子どもたちの写真は『博愛と公衆(Charity and the Commons)』誌や『調査(The Survey)』紙といった雑誌や新聞に掲載され、児童労働問題への社会的関心を高める役割を果たしました。1912年には子どもを取り巻く諸問題について、調査研究、情報提供を行う連邦児童局が新設されることとなります。
1983年、川崎市は美術館設立に向けて写真作品の収集を開始しました。ハインの作品は社会変革に大きな影響を持った優れたドキュメンタリー作品のひとつとして、現代映像文化センター作品収集委員会により選定され、川崎市に購入されることになりました。
レスキュー過程
1.搬出
第8収蔵庫に収蔵されていた写真作品の搬出は、2019年10月26日に開始しました。被災直後の写真からは、人が立ち入ることができないほど、床に作品や備品が散乱している様子が分かります。作品が収納されていた金属製の可動棚は床材の隆起により動かなくなったため、解体業者に棚を切断してもらいながら作品を取り出すことになりました。
11月5日、ハインの一部作品を上階へ搬出。初動ではゼラチン・シルバー・プリントの多くが長時間水に浸かったことにより画像が部分的に失われている状況のなかで、例外的に本作品を含む一部作品については、画像を保持した状態で搬出がされています。
2.マット装丁の除去、額外し
収蔵庫から搬出した作品は、汚泥や雨水に浸かった額やマット装丁、保存箱を取り外し、写真本体のみの状態にします。
ハインの作品は中性紙の保存箱から取り出し、プリントを保護するマット装丁を外して印画紙のみの状態にしました。
3.自然乾燥
額などを外し、作品だけの状態にした後、水に比較的強い素材の鶏卵紙等は水で洗浄します。しかしながら、ゼラチン・シルバー・プリントである本作品は画面を保持した状態で搬出されたものの、表面が脆弱な状態となっていたため、水洗は行わず、自然乾燥させました。
修復
自然乾燥させた本作品は、専門家に修復を依頼します。修復を担当した白岩修復工房の白岩洋子氏にお話をうかがいました。
―初めて被災したハインの作品≪1909年5月6日午後6時、紡績工場で働く少女たち、バーモント州バーリントン≫を見た時、作品はどのような状態でしたか?
(白岩) 初めてこの作品を見たのは状態調査のときです。被災した他の作品をある程度見た後に、ハインの作品がまとまって出てきて、それらを市民ミュージアムで見ました。半分ほどは周囲だけのダメージでしたが、その他はかなりひどいダメージを受けていて、取り扱うのも難しいような状態でした。画像が剥がれそうなところがあり、手に取って立てて見ることはできませんでした。
ハインの作品はバライタ紙という印画紙のものですが、紙の上に「バライタ層」という白い下地層があります。バライタ層というのはゼラチンと硫酸バリウムが塗布された層で、その上に「画像層」といって銀で形成された画像が含まれているゼラチン層があります。それらの層が両方とも剥離し始めていました。全体が剥離しているところや、バライタ層が残っていて白く見えるところがありました。また、ささくれのようにゼラチン層がめくれ上がっている部分もありました。他の作品は応急処置として水洗をしましたが、これは水に入れたら画像が流れてしまう状態だったので、ミュージアムで応急処置はせずそのままの状態でお預かりしました。
―まず行ったのが、剥落止めですね?
(白岩) 通常ですとまずクリーニングや水洗をしますが、この作品はそれができない状態でした。息を吹きかけただけでも飛び散ってしまうくらい画像層が弱くなってしまっている部分もあって…。クリーニングには、ドライクリーニングやウェットクリーニングがありますが、今回は表面がすごく脆弱になっていたため、物理的なクリーニングはできませんでした。安定させないとどんどん剥がれてしまいますし、その状態で保管しても、作品として展示できる可能性がなくなってしまいますので、まず剥落止めをして強化するというのがメインの処置になりました。
―剥落止めとはどのような作業ですか?
(白岩) 筆でゼラチンを塗布します。今回の作品は筆の先でゼラチンを置いていくのが難しいくらい、表面がポロポロとしてしまっていました。ボトンとゼラチンを落とすと、広がって他の部分が剥離し始めてしまいます。ゼラチンで画像がくっつくのですが、剥落がない部分にもゼラチンの水分がまわりすぎると、今度はそっちに画像層のしわができたり剥離してしまうのです。ごくピンポイントで剥落止めをしていかないといけないので難しかったですね。
―剥落止めの塗布液は、「ゼラチン」と「クルーセル」を使われたようですが…?
(白岩) 塗布液を2種類使用したのには理由があります。もともと画像層にはゼラチンが塗布されていますし、ゼラチンは接着力があるので使えればベストなのですが、ゼラチンには水分が入っています。水分が入ると塗布時に画像が流れてしまったり、筆の先に粉状になったバライタ層がくっ付いたりしてしまいます。そこで使ったのが、クルーセルという接着剤をエタノールで溶いたものです。ゼラチンはアルコール(エタノール)に溶けませんが、クルーセルは溶かすことができます。そうすると何がいいかというと、アルコールですので揮発しながら止めてくれるんですね。それを使い分けながら、ゼラチンでは無理だなというところは先にクルーセルで止めて、その後もう一度ゼラチンを塗布するなどしました。1回では止まらないので、何回も何回も繰り返して亀裂や剥落のある部分に塗布していきました。ただし処置後しばらくは大丈夫そうでも、今後他の部分が剥がれてくるなど、一度止めたけれども将来的に変化が起こることは、ここまで損傷した写真なのであり得ると考えています。
―剥落止めの後、補彩をすることになりました
(白岩) 中央の人物像に画像が欠損している部分があり、バライタ層が粉状になってしまっているので、どうしてもその部分に目がいってしまいます。この作品は剥落している部分が多かったのですが、全体を補彩するとなると、かなり大きな範囲になってしまうので、人物のところだけでも、ということで顔の部分や洋服の部分を補彩することにしました。
―1点1点、この作品はこの部分を補彩する、といったように相談させていただきましたね
(白岩) そうですね。欠損部分が少なくて、しかもそれが作品の周囲の場合は剥落止めだけで補彩の処置が必要ないものもありました。剥落部分が多くあってバライタ層がむき出しになって見えてしまうと、白なのですごく目立ってしまう。例えばこの作品は、人物の顔のところに大きな欠損があって、写真の内容よりもその部分を見てしまいます。1点1点そういったことをミュージアムと話し合いながら、補彩をする場所を決めていきました。
―補彩は水彩で行うのですね
(白岩) 今回は水彩絵の具を使いました。水彩絵の具は後から除去しやすいですし、色合わせもしやすいです。まずゼラチンを塗布して、乾いたらその上から補彩をするのですが、水彩絵の具だと、ゼラチンが下にあるので後から取ろうと思えば取れます。写真家のスポッティングと言われる修正はインクを使うので修復家の補彩の仕方とは違います。色は水彩絵の具を混ぜながら馴染むような色を作ります。それから写真の場合、例えばモノクロのプリントなど、補彩の時に黒の色をぴったりと合わせても、画像は退色したり変色したりしていくので時間が経つと補彩した部分と違いが出てきてしまいます。画像は銀でできているので、補彩した時に絵の具で色を合わせていてもその部分は同じように劣化しません。そういった意味で後から除去しやすい水彩を使うことが多いです。
―具体的にはどのように補彩していくのですか?
(白岩) 水彩ですから水が入っていますので、補彩をしている間に画像層が剥がれてくると困ります。ですので、まず補彩の前に表面がある程度強化できているかを確かめます。綿棒でトントンと触ってみて剥落しないかとか、少し絵の具をおいてみてうまくできるかどうかをみます。確認ができたら、細い筆で色を合わせていって塗ります。色を重ねることもできなくもないですが、下にゼラチンの層があるので、何回も何回も水を与えているとゼラチンが緩んできてしまうので、けっこう一発勝負です。
この帽子のところは色がはっきり分かっていますね。お顔のところは、顔の具合がよく分かりません。分からないところは、想像で描くことはしないで、白が目立たないようにすることを目的に補彩をしていきます。
写真の補彩で難しいのは際(剥落した部分と画像が残っている部分の間)の部分です。画像層が残っている膜の部分の隙間に絵の具が入ると濃くなってしまいます。ラインができてしまうんです。絵の具が溜まっちゃたりもするので…。その辺は絵の具の水分を調整しながら行います。だからどちらかというと色がしっかりとある濃いところの方が作業はしやすいですね。白っぽい部分は難しいです。でも何点も補彩をしていくと、いろいろ分かってきます。今回の場合は古い写真なので、バライタ層も画像層も薄かったですね。
写真の補彩のもうひとつ難しい点は、それぞれの時代の印画紙によって光沢があるものとかマットのものとか、質感が幅広くあるところです。同じような質感を持たせるためにメディウムを少し入れたりして合わせていきます。今回は特殊な印画紙ではなかったですし、表面も弱っていたのでそこまでのことはしませんでした。
剥落止め絵の具は、筆の先を使ってごくごく小さな点で置いていくという感じです。広範囲の部分に関しては点や縦や横のハッチング(何本もの細い線)で塗っていきました。
―フラットニング(作品を平らにする処置)はしなかったのですね?
(白岩) この作品に関しては、フラットニングは実は1回だけやってみました。ですがやはり負担が大きすぎると判断し止めました。一度しわができてしまったプリントは、何度も加湿とフラットニングを繰り返さないとなかなか平らになりません。それをするには状態が悪すぎました。それに、折れがある、波打ちがひどすぎるなどの理由で額装ができないような状態ではなかったので、リスクを冒してまでフラットニングをすることはしませんでした。
―修復を終えて思うことはありますか?
(白岩) 今回依頼されたお仕事というのは、災害によってダメージを受けてしまった写真を、また一般の方々が鑑賞できるようにするというのが目的でした。その目的を大前提として修復方針や処置等を考えていきました。難しいのはどこまでやるかということ、そして将来的なことの心配があります。大手術を受けた患者さんを見送ってその後を気にかけるのと、同じような心境です。でも何もしなければ、そのままの状態でおそらくこの作品は二度と展示されることもなく終わってしまいます。できるところまでやって、それが何百年ももつかは分からないけれども、人の目に触れて、皆さんが色々な思いを巡らすことができればと…。この作品を残す価値はあると思うので、そのお手伝いができたことは、非常に光栄だなと思います。
写真の修復は、絵画などに比べて新しい分野なのであまり知られていないということがあって、しかも写真=複製という見られ方もあり、なかなかその重要性が認められない難しい部分があります。写真の画像は銀でできていたり、染料など他のものでできていたりする。高額な美術作品もあれば、だれもが持っているような家族写真もある。私達の周りには様々な写真があるので、もっと多くの人が関わってもいいと思います。専門性は高いですが、かといって敬遠されてしまうと、例えば災害などがあった時に誰も手を付けられない状態になってしまう。もう少し写真の保存やケアは広まっていくべきものではないかなと。本や古文書など、図書館や歴史関係の方々で関わっている方がいらっしゃるように、写真もそういう人材が増えてくれることを祈っています。
―ありがとうございました。
白岩洋子/白岩修復工房
上智大学文学部フランス文学科卒業。ロンドンの美術商に入社後、1995年から2004年まで取締役日本代表として就任。2004年ロンドン芸術大学キャンバウェル・カレッジ・オブ・アーツにて修復(紙本)のディプロマを取得後、株式会社絵画保存研究所に勤務、紙作品の修復を担当する。海外の美術館、修復機関にて短期研修を受け、2010年独立開業。紙作品、写真作品の修復を専門としている。
おわりに
美術館収蔵の写真コレクションの大規模な被災は日本に前例がありませんでした。そうした状況のなか、白岩修復工房をはじめ、写真や紙の保存科学専門家の方々に多大なるご支援を頂いております。非常時には想定外の問題の解決を迫られることがありますが、その判断材料を、常に明快な理由で提示してくれる専門家の存在ほど、心強いものはないでしょう。白岩洋子氏は修復実績や保存科学研究者との共同研究の成果、そして東日本大震災での写真資料レスキューのご経験をもとに、常に情報を提供し続けてくださいました。それらは収蔵品の救済に非常に有益なものでした。
本作品の修復では神経を使う繊細な処置を実行頂きました。画像層への負担を考慮しつつ、最も重要な部分である被写体の表情の周辺を集中して補彩頂いております。これは鑑賞時に人物に集中できる状態にすることを念頭に置いた処置です。
ハインは川崎市が初期に収集した作品のひとつです。そうした記念碑的な作品が被災し、完全に画像を失うことなく、このたびの修復処置を終えました。当館の収蔵品を多くの方々にご覧いただける日を目指して、今後も収蔵品の救済に努めてまいります。
修復後 | 修復前 部分拡大 | 修復後 部分拡大 |
【インタビューについて】
取材日時:2021年7月26日
取材場所:白岩修復工房
取 材 者:川崎市市民ミュージアム 中野可南子 奈良本真紀